「台与」の墓か、衾田稜「西殿塚古墳」
「台与」の墓か、衾田稜「西殿塚古墳」
箸墓古墳のすぐ後に築造
天理市萱生町の山の辺の道周辺は、大和(おおやまと)古墳群と呼ばれています。
箸墓古墳の後に造られた前期古墳が多く、邪馬台国時代からの古墳群と注目されています。
なかでも盟主墳ともいえるのが西殿塚古墳。全長230m、後円部径145m、前方部幅130mの堂々たる古墳で、3世紀後半から4世紀初めの築造とみられています。柿畑と水田を縫うように進むと、やっと拝所にたどり着きます。
被葬者は26代天皇・継体天皇の皇后・手白香皇女(たしらかわひめみこ)で衾田陵(ふすまだのみささぎ)」として宮内庁に管理されていますが、築造年とは200年以上のひらきがあります。
「築造年代は、箸墓古墳のすぐ後。卑弥呼の後に女王になった台与(とよ)の墓ではないか。手白香皇女の墓は、西殿塚古墳から北西約500mに所在する西山塚古墳だ」とする研究者もいます。
一帯は、巨大古墳を有する古墳時代初期の古墳群であり、わが国の国家形成を考える上で重要であるとして、平成26年に同じ古墳群の中山大塚古墳(前方後円墳130m)、下池山古墳(前方後方墳125m)、ノムギ古墳(前方後方墳63m)が新たに国史跡に指定されています。
【アクセス】
天理市萱生町183
https://kanko-tenri.jp/tourist-spots/center/yatogijinja/

見どころ

見どころ
宿泊
青垣出版