邪馬台国

水の都を支えた土木技術

監修/黒田龍二 NHKスペシャル「”邪馬台国”を掘る」ⓒNHK/タニスタ

祈りの館の壁材
辻土抗地区から少し南に行ったところに南飛塚古墳がある。この古墳の一部から周壕状(幅8.5m、深さ0.6m)の溝が見つかった。
そして、この溝から布留0式期(3世紀後半)の土器とともに、建物の壁に使われたと見られる建材がでてきた。きれいにすだれ状に組合わされたもので、倒壊したままの状態である。
切り妻建物の妻部分を角材で壁として、断面三角形の木材が1本横たわっている。
この建物は住居としてではなく、祭祀に使われたものではないかとみられ、古墳の上にあった建物が溝に放棄され、そのまま残ったかもしれない。
当時の建築技術のみならず古墳における祭祀を考える上でも重要な資料だ。

写真/奈良県立橿原考古学研究所
巨大な運河「纒向大溝」
纒向小学校の建設時の第6次調査で発見された。
幅5m、深さ約1.2mの大きな溝で、北の溝と南の溝の2本が「人」の字の形になっていた。
確認されている各溝の長さは北溝が約60m、南溝はなんと140mにも及んでいる。
特徴的なのは、南溝に護岸工事用の矢板が打ち込まれ、しっかりとした構造になっていること。さらに両方の溝の合流点には水量の調整が可能な「井堰」が設けられていることです。
物資を運搬するためにつくられたのであろうが、当然、船着き場なども設置されていたことが想像できる。

写真/奈良県立橿原考古学研究所
清水を捧げる水槽跡
北部の巻野内地区に碁盤目状の水路と建物群がある。
水路の一部には木槽と木樋を重ね、石敷き部分もある。この導水施設の中央にある木槽は幅
63cm、長さ190cm。北南東の三方から樋を使って水を注いで槽に集められたものと思われる。
清らかな水を採取して、神に捧げたのであろう。
水源地は東200mの大型土抗で、時期は3世紀末とみられる。
運河のほかにも、遺跡の至る所に溝が掘られ、清らかな水があふれる木槽がある。
まさに水の都である。
写真/桜井市教育委員会