邪馬台国

女王「卑弥呼」の誕生

安田靫彦「卑弥呼」(滋賀県立近代美術館)

謎に包まれた女王
卑弥呼の生涯は謎に満ちている。
魏志倭人伝では「鬼道」を使うと書かれ、特別な占い能力を持っていた。
中国では「鬼」とは死者を意味することから、「鬼道」とは死者の霊を祭ったり、神霊と交信してその言葉を民衆に伝えたりしたのではないか。
卑弥呼を共立した倭国は、統合の象徴として、奈良盆地の東南・三輪山の北に新たな首都を築く。卑弥呼は、ひたすら宮殿にこもって祈りを捧げ、ついにその姿を見た者はない。

神の言葉を伝える巫女
古来日本では、巫女が政治的な場面でも役割を果たしてきた。
邪馬台国では卑弥呼が告げる言葉を皆が信じ、民衆も神の言葉とした。
魏志倭人伝には、占いをするために鹿の骨を焼き、吉兆を判断したことが書かれてある。
もともと中国で生まれた占い方法だが、北方のモンゴルやツングース族にも広がり、やがて日本列島に伝わった。
卑弥呼の死後、倭国ではいったんは男の王がたったが、再び乱れる。そこで、卑弥呼の一族の「台与(とよ)」を立てたという。台与はこのとき13歳。
266年、台与も引き続いて中国に朝貢する。この記述以降、台与や邪馬台国のその後を伝える記録はない。

卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命か
女王卑弥呼とは、一体誰なのか? 
これまで古事記や日本書紀に登場する古代日本の人物から「天照大神」「神功皇后」「倭姫命」など、様々な人物が登場する。
「日本書紀に記された第7代孝霊天皇皇女で倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)こそが、女王卑弥呼である」。
今から100年前に、このように発表したのは、徳島県の高校教諭であった笠井新也(1884~1956年)である。そう、あの箸墓古墳に眠る倭迹迹日百襲姫命こそが卑弥呼だという。
第10代天皇の崇神天皇の大叔母にあたることや、最近の科学的な分析で箸墓古墳の築年代が、卑弥呼の死去した年代と重なることや、日本書紀でもお墓に関する詳細な記述が掲載されているのは箸墓のみなのである。
また、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓の大きさは径百歩。これも箸墓古墳の後円部の直径150mと一致する。
この笠井説が、いま考古学会でにわかに脚光を浴びている。

鹿の骨を焼いて占う