邪馬台国

ホケノ山古墳の築造技術

ホケノ山古墳発掘調査時の写真(奈良県立橿原考古学研究所)

19石囲いの木槨、朱塗りの柱で支える
ホケノ山古墳は、卑弥呼の墓か?と注目される「箸墓古墳」のすぐ東側に位置する。
全長約80m、後円部は3段築成で径約55m、前方部長約25mの前方後円墳である。
平成11年、12年の調査で、棺を納める「石囲いの木槨」が出現し、邪馬台国の女王・卑弥呼が亡くなる前後の3世紀中頃のヤマトにおける古墳の、内容豊かな副葬品がはじめて明らかになった。
幅2.7m、長さ7mという大きな規模の板囲いがあり、その中に組合式の舟形木棺を納めて いたようだ。そして板囲いを押さえるための6本の柱とは別に、4本柱と棟持柱封の長軸上の2本の柱穴が見つかっている。
石囲い木槨という構造そのものは吉備や讃岐・阿波・播磨地域で散見されるものであり、 ホケノ山古墳の築造に、讃岐か阿波か、東部瀬戸内地域が大きな影響を与えていることが想定される。
遺物や埋葬施設の構造などの年代観などから築造時期は庄内3式期の3世紀中頃と考えらる。


卑弥呼の鏡との関連は?「画文帯同向式神獣鏡」
出土遺物は多くの二重口縁壷や小形丸底鉢などの土器のほか、画文帯同向式神獣鏡(がもんたい どうこうしき しんじゅうきょう)が1面と破片化した内行花文鏡(ないこうかもんきょう)などの鏡片や、 素環頭大刀(そかんとうたち)1口を含む鉄製刀剣類・鉄製農工具、多量の銅鏃(どうぞく)・鉄鏃(てつぞく)などが出土している。

ほぼ完形で出土した画文帯同向式神獣鏡は中国にも類例のきわめて少ない秀れたもので、直径19.1cm。
白牙弾琴・東王父・西王母それに黄帝かと思われるものなど、4体の神仙像と、獣は四乳を巡る蟠龍形が四体である。
神仙はそれぞれ侍仙をともなっており、白牙と黄帝は二体ずつ、東王父と西王母の近くにも一体ずついる。
卑弥呼が使ったといわれる「鬼道」は、中国の神仙思想がルーツとされる。
この時代に、日本列島に存在した「邪馬台国」とこれらの鏡はどのように結びつくのだろう。